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小宮仁至の物語~幼少期編~

私は熊本の小さな子どもの本の専門店の三男として生まれました。
お店と家は、同じ場所だったので
両親はいつも傍にいて、でも、いつも忙しかったのを記憶しています。

幼稚園はよくサボり
父の外回りの営業についていくこと大好きでした。
もちろん仕事中なので、車で待たされることもありましたが
たまには営業先に一緒に連れていかれることもありました。


母はお店にくるお客さんに、本だけではなく、子育てに関するあれこれを
教えていた気がします。

父は営業先ではいつも笑顔で、頭を下げていても、へりくだっているようには
見えたことはありませんでした。

今、思えばこれが、私の「働く」ということの原風景な気がします。

小学校にあがると
これまでの自由?な生活は許されざるものになり
毎日同じ時間に、毎日同じ場所に行き、毎日同じ人と会う。
という生活が始まりました。

もうこれが、たまらなく窮屈に思えて
学校をしばしば休む子になりました。

週に1回は必ず休んだので
1学期のうちに30日以上休むことなんてザラでした。
最近、不登校の子を支援している友人にそのことを話すと
「小宮さん、それは今の定義上、立派な不登校児童ですよww」と言われました。

幸い、それだけ休んでも勉強は中の上くらいの成績は保てましたし
友達が1人もいない。ということもありませんでした。

たまたま担任が嫌だとか、泳げないからプールの時間が嫌だとか
分り易い言い訳はありましたが
ただただ、学校というものが退屈に感じていました。

それより、家にいて、お店にくるお客さんを眺めたり
父の車の助手席に乗って熊本中を走り回る方がよっぽど楽しかったのです。

たださすがに小学生の年齢の子を、
家に留めて置いたり、仕事に連れ出すわけにも行かなくなった親には
大変な心配をかけたな~と思います。

そんな幼少期を経ましたが

小学校から中学校は引っ越したのでそれまでの友人が1人もないところへ。
中学校から高校も、原付で片道50分かかるところへ通ったのでまたまた1人のところへ。

その都度、これまでの自分と違う自分になったり
あまり変わらないところもあったりしながら育ちました。

結果的には、縁もゆかりもない沖縄で
暮らすことになるのですから、
育ち方というのは人生に多大な影響を与えるもんだと思います。

まずは私の子ども時代のお話はこの辺で。